ム【29】

なんだっていいじゃない。

ドコモだってソフトバンクだってauだってウィルコムだって

 

そうじゃなくて

iPhoneがいいんじゃない

 

よく表現されてるけど

iPhoneがMacでAndroidがWindowsだから違うんだってやつ

逆だと思うんだけどね

iPhoneがメジャーでAndroidがマイナーなんだよ実は

台数とかシェアとか下らないですよね。

 

いきつく先ってあなたの言葉が相手に伝わるから使うんだよね、携帯って

ならなんでもいいじゃないのガラケーでいいじゃない。

 

プロバイダ選びにSo-netかNiftyかYahooで迷うんですか?

それと一緒ですよ

いや、違うな

 

電波がちがうんだったorz

 

そんなところにワイヤレスの壁というものを感じるわけです、はい。

 

だけど、正直

電話とメールで十分とか言ってる人がスマートフォンを持つ意味がどこにあるの?

と思ってしまう。モバゲーにはまりすぎてスマフォンいけないってのはわかるけど

iPhoneすらびびって使えないような人がAndroidとか

 

私としては非常に滑稽に見えますです。

 

だからせめてみんなArc買っとけと言いたいですな。

 

 

ム【28】

まず、今日のエントリーを読むすべての方にお聞きしたいんですが、

あなたはあなた自身がたったひとりこの世に生を受けた生命であることを認められますか?

 

認められないと言う方はここで退場してくださって結構です。

そういう方へのメッセージだからです。

 

もっと言いましょう。「ネットのオレがいる」とか思っている方へ。

 

絶対読まない方がいいと思います。それを全否定してますから。これ以降の文章は。

でも、私はそういう方こそ読んで欲しい。と思っています。

 

別に私がえらいとかそういう話ではありませんです。

あくまで自分の考えです。反論されるのは承知です。

それも意見のひとつでしょう。

 

反論への反論など不毛なのでする気もございません。

 

私もその意見のひとつを述べるだけの話です。

 

それを承知の上で以下をお読み頂ければと思います。

 

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アイデンティティって何ですか?

 

ましてネットのアイデンティティってなんなんでしょう。

あなた自身はネットで産まれたのでしょうか?

 

そもそも自己同一性とはなんでしょう?

 

それはあなたそれ自身なのであって、あなたの妄想の生み出したものに

アイデンティティを論じることに疑問を感じないでしょうか?

 

なぜなら

 

あなたはあなた自身が産み出したものではなくて、産み出されたものなんですよ。

それに対する感謝は果たしてあるのでしょうか?

 

あなたはそれ以外の何者でもないからあなたなのであって

それ以外の何者かがあるとすればあなたではないからこそのアイデンティティなのですよ。

 

リアルの自分とネットの自分があるとよく聞きますが、そもそもそれはアイデンティティから

逸脱しているという自覚はありますでしょうか?それこそ自己分裂の兆しではないんでしょうか?

現実に自分がふたりいると言えばそれは精神分裂病と診断されるのをご存じでしょうか?

 

ネットだから自分がふたり言えば通じるというのは非常に矛盾していますよね。

ネットで産まれたあなたを産み出したのは一体誰なんでしょう?あなたというものはあなたが

作ったものではそもそもないわけですよね?それを誰が産み出したと言うのでしょうか?

 

あなたはふたりじゃない、たったひとりなのですよ。

それを否定しちゃ、あなた自身を否定しているのと同じ事だと早く分かるべきです。

あなたはふたりじゃないんです。

 

あなたが思っている自己同一性に基づいたネットのあなたはあなたが産み出したものであって

あなたがふたりいることは結局あなたの存在を否定することになりませんか?

 

あなたには親がいるでしょう。

 

もしネットのあなたというものがあると言うのなら、ネットのあなたに親はいるんですか?

生命ってそんな簡単なのですか?あなたの妄想で産まれるようなものなんでしょうか?

ネットのあなたの親はあなた以外いないわけですよ。でもそれはひとりではありませんよね。

 

ネットとリアルは極近い将来ほぼ完全に融合すると思っています。

それをどんなに否定しようが、それは避けられません。

そんな都合のよい世界などないわけです。早く目を覚ますべきだと思います。

 

いつまでも産みの親に対する失礼を繰り返すことはないと思います。あなたが産めるのは自分ではなくて、自分の分身しかないわけです。

それを認めてこそこれからのネットを生きていく他でもないあなた自身にとってのアイデンティティとなるではないでしょうか?

 

それがあなたを産み出した人への甘えから感謝に変わることなんじゃないかと私は思います。

 

ム【27】

審判が下りました。

 

見事に彼女はやってくれました。これほどうれしい日はありません。

 

だけど、昨日書いた日記を今見て思うのは、

そんなこと子供の知ったことではないということです。

単なる自己満足ですね。

 

私もこれからさらに色々と経験値を積みながら子供に抜かれないようにがんばらないといけないなと思ったりしています。

そしてこれからも今までと変わりなく子供が巣立つまで見守り続けたいと思ってます。

 

さて、昨日に予告したのかしなかったのか、気になって仕方がない方もほとんどいないであろうというその案件について今日は触れてみたいと思います。自分の口からは決して語ることはないだろうと思っていたことを、今は時代が進みました。変わりました。

 

今時の中学生というのは立派にブログに意見を書けるものなんですね。

ひょんなきっかけからその存在を知り、そこで見たものはたまたまながら私の心を全て洗い流してくれたような気がします。本当に色々自分は見られているんだなぁと思ったりもしました。

そしていつでも見られる環境を封印しました。URLは消去しました。だってこんなの見られたくないでしょう。

 

私自身からは何も言えませんが、このSSが意味することは本当のことです。

 

色々疑問に思っていた方々にはこれが真実ですと伝えておきたいです。

なにしろ最近色々と言われることが多くなってきたことですし。

 

 

ま、そういうわけです。

そんなこと一方的に言われて今度からなんて声を掛ければいいんだって方は

「知ってんだよ。」

とみこしのように気軽に声を掛けて下さればいいだけの話です。

 

 

ム【26】

View数みたらえらいことになっているのだが、一体何が起こったというのだろう。

前回のだけでも2500viewとか、普段のブログとか考えたらありえない話なんだが。

 

2009年の夏を皮切りに相当表に出て行ったと思う。

逆に私のブログを知っていて、私に会おうと思った方々はほとんど私の顔を知っている

のではないだろうか?名刺もなんだかんだで300枚ほどばらまいた。

 

もう誰に渡したかなんて私は覚えていない。覚えているのはその時お話ししたときの顔だけだ。

 

こちらでは、自分自身のこと。自分が感じたことをテーマに色々書いてきた。

こんな偏屈な意見をよくもまあ、文句も言わずに聞いてくれてるなと思うと感慨深い。

ま、文句はあるだろうが、ただしないだけなのだろう。

 

会って話した方々はもしかしたらご存じかもしれないが、ブログを書く傍ら私は子育てにも熱中している。

いわゆる熱血先生的な教育だ。理屈も何もあったものではない。

ただ、自分の信じる道を子供に示すだけだ。毎日飲み歩いているのもその一環というと

それは反省すべき点であり、やっぱり矛盾している。

 

子育てに理論はないと思っている。どれだけ自分の気持ちを伝えられるか。

そのためには手段は選ばない。

その代わり子供の身になって反省するわけだ。反省というのは誰しれずするわけではなく

必ず子供に伝えるようにしている。

 

大人というものは完璧ではない。大人も子供も根本は同じなのだ。

ただ、大人は子供からは計り知れない経験を持っている。

予測がつくのだ。だから未来を考える。

子供は大人が思っている以上に予測がつかない。だから目先のことしか考えない。

だから失敗する。それが経験だ。

結局その経験をどれだけするかで、予測のつく大人になるわけだ。

 

大事なのは、子供は目先に見えているもの、感じたことがすべてなのであって

先にある希望が一番大切だと感じているわけではない。

すべては、今どう感じるかが重要なのだ。

ただ、子供には大人が想像もつかない好奇心がある。先のことにも実は興味がある。

徐々に大人になろうとする。

 

先を見たいのだが見えない。

しかし、今どう感じるかを重視する余り、結果の出ない試みはほどなく挫折する。

今がイヤだから挫折するのだ。これは大人になっても残る感覚だろう。

ただ、その挫折すら経験なのだ。

 

それを繰り返しながら子供は大人になっていく。

 

それを見守るのが大人、いや、親としての役目だと思っている。

方向性は示す。

手段も選ばない。

ただ、

子供の見ようとする未来を直接阻止するようなことは大人としてはもったいない。

 

いま子供が選んでいる道の先を大人である親が先読みし、日々その軌道を気づかれずに

修正することこそが子育ての醍醐味ではないだろうか。

つぶさにその軌跡を見続けることが最大の楽しみではないだろうか。

自分の思った通りに歩み続ける子供のほうがむしろ珍しく、

予想のつかない方向に子供は歩んでいく方が多いのではないだろうか。

それが私にとっては楽しくもあり、つらくもあったりした。

 

明日その審判が下る。

親としての評価が下るわけだ。

 

果たして自分のやってきたことは正しかったのだろうか。

明日の結果が出た後、ひとつの告白をしようと思っている。

私自身は何も語らないが、ほとんどの方に決して語らなかったことを示す

あるひとつの画像をお見せしようと思う。

 

あれ?ポステラスに画像貼ったことないような気がする〜♪

 

おわり。ぽんぽん。

 

 

ム【25】

毎日書くわけじゃないけど、だいたい二日連続になっただけの話。

 

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ニーズというものは数限りなく存在する。

そのニーズに応えることで顧客は選んでくれる。

提供したサービスの満足度で顧客はリピーターとなって戻ってくる。

 

だれでもわかる理屈だ。

 

それを繰り返すことでさらに顧客は増え、リピーターも増える。

これだけの理屈だと誰もが成功する仕組みになってしまう。

つまり、だれでもわかる理屈はみんながやるのだ。みんなが思いつくのだ。

 

やがて競合し、さらなるニーズに応えられるものだけが生き残る。

それ以外の者達は、淘汰される。

 

自然の摂理とでも言おうか、弱肉強食という法則はどこにでも存在する。

生き残るためにはどうしたらよいものか。

 

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ここからは私の勝手な解釈なのでふーんと聞いてもらえばいい。

 

そもそも私は弱肉強食という言葉があまり好きではない。強みをもって弱気をくじかれるのが

自然の摂理と言うならばそうではないと思っている。実際その言葉はそんな意味ではないわけだが。

 

つまりこう考えている。

 

自分の強みをもって相手の弱気をくじくような手法は結局自分を破滅させる。

なぜなら、同じ手法で自分もやられるからだ。誰しも誰にも負けない面を

実は持っている。(と考えている。)それを自信とも言う。

 

自信は持った方がいい。それは自分の強みになる。

だが大事なのはその自信でもって相手の弱みにつけ込むことではない。

 

自信があるからこそ、自分の弱点がわかる。

その弱点を見つめることが肝心なのだと思っている。

結局自分の強い点、弱い点を仕分けできる能力がないと自信は持てない。

 

むしろ自信でもって自分の弱みを克服するべきなのである。

自信のないものが自分の弱点に向かい合ったとき自己嫌悪に陥る。

 

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強大な相手を前にして何をするかと言えば、その相手の弱点を突くことをベストだとは考えていない。

むしろ戦わない方向に考えることの方がベターだと思っている。

 

強大な相手が今なぜ強大なのか、どうやって強大になったのか。

なぜ自分は戦いを挑もうと思っているのか。

そもそも戦わねばならないのか。

勝たねばならないのか…?

 

自分を成功させるために競合相手をどう捉えるのか。

その捉え方こそ、「生き残るため」の答えなのではないだろうか。

何も答えを急ぐ必要はない。

 

まずは弱い自分に勝てる強い自分づくりが大切なんだと思っている。

 

だからこそ、人の話に耳をそば立てればいい。

自分に足りないものを成功者から吸収すればよい。

わからないことは聞けばいい。

 

そこから生まれるものから憎しみなんてものは生まれないはずだ。

戦う相手なんて思わないはずだ。

相手を尊重し、感謝すれば、自分が強くなる。それがさらなる自信になる。

やがて、他人とは違う自分になれるのではないだろうか。

 

そこでやっと、さらなるニーズに応えられる器が与えられるんだろう。

 

などということを自分で実践できているならとっくに本出してます。

それができないから毎日ひーこら言ってるわけでございます。

ほんとそういう人間にならないとなぁと思うばかりでございます。

 

おわり。ぽんぽん。

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ム【24】

日刊むんくは終わったんだが、いくらでも復活するんだぜ。

いろいろそぎ落としたら「ム」になった。

 

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3つの力
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今回の関東遠征を経て、3つの力に触れられたと思っている。

なんだそれ。かっこいいじゃまいか。

 

100人の正のエネルギーとひとりの力に触れた。

どんな小さな力も100人集まるとすごいものになるということを実感できたことは今までない。

それに触れることができた。そして、それを支えたのはたったひとりの @ttachi さん。

彼は100人の想いをがっちり受け止めたということに他ならない。

それに触れられたことで、自分はその力のごく一部を得た。

これは大きいことだ。たちさんは大きいが、わたしにとって大きいのは彼のハートだ。

言い換えればもてなしの心、つまり、誠意である。

 

実はDpubの3次会も途中で私は会を抜けてやつらに会いに行った。

2010年年末から2011年年始にかけてブログでは書かないが、

今年の自分のブログを占うかのような方向性を決めるほどの出会いがあった。

新たな出会いとかねてからの僚友との想いが一致したのである。

そんな彼らと鼻面合わせて激論が繰り広げられた。本音と本音のぶつかりあい。

先を見る力とでもいうんだろうか?

集まった5人それぞれの思い描く未来と具体的な戦略。到底自分には思いもつかない

話で度肝を抜かれた。

 

つまり、アイデアである。

 

そして、夜が明けて翌日。りょーさんとひろさんとののこさんと共に向かうは鎌倉。

いわずもがな、彼らである。いや、彼である。

彼はまったく変わっていなかった。ずっとiPhoneの明るい未来のためへの色々な計画。

なればいいなじゃなく、ならせるんだという固い意志。彼らのアイデアはいつでも

具体的だ。具体的なパーツを組み合わせて未来を思い描く。絵空事ではない、あるべき未来。

これまでも数々のことを実現してきたのはそんな鉄の意志のもとから生まれただということは

誰もが認めることだ。

 

つまり、継続する力である。

 

この3つの力の意味することは何か。

 

それは商売の大原則に適う。しかし自分は儲けよう何て考えていない。しかし、読まれようとは

考えている。金と言ってしまえばいかにもいやらしい話になるわけだが、その大原則は何も商売に

限ったことではないということを意味しているのではないかと。

 

今回の遠征では不思議とオフ後の空虚な気持ちはない。あるのは、そんな正の力に触れられた私が

あたかもその力を得たような錯覚を覚えた事が恥ずかしいという気持ちだけだ。

 

その力を得られるよう努力していきたい。

 

100人のエネルギーと3つの力。今年の自分の精神的テーマはエネルギーに応え、力を得ることだ。

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ちなみに今年は私、本厄です。

 

娘1号の学業成就を祈願しつつ、厄払いしなかった。

なるほど確かに自分らしいなと思ったな。

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終刊むんく【23】

日刊といいながら日刊を守らないことは遊び心なんだ。

題名で遊べる喜び。

 

22という数字に反応があったようだが、

何が特別かって、誕生日が22日だということだけだ。

ほら、聞いてしまうとなーんだと思うじゃない。

 

これが本家ブログに対するこの場所の危うさなんだろうと思ったりする。

 

そんなこの場所で結局何をしたかったのか。

 

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実は今年限りでいったんブログを休止しようと考えていた。

 

うそだろと思われるかもしれないが事実だ。

もろもろの事情があり、一旦休んだ方がいいのではないかと思い、

ここ2ヶ月弱真剣に悩んでいたのだ。

 

ブログ運営に行き詰まったとか、人間関係で問題があったとか

そういう話ではない。単にプライベート的にブログを続けるのに

障害がありそうだったからだ。

 

その悩みとかいろいろな想いもあってこの場所で

いろいろな自分の考えを書いてみたりした。

 

そして私は3人の男に相談した。

 

反応はそれぞれだった。

しかし、3人とも同じだったのはとことん私の話を聞いてくれたということだ。

3人には本当に心配も掛けたし迷惑も掛けた。

申し訳ない気持ち以上に感謝の気持ちで一杯です。

 

結局その障害そのものが一掃され、休止する理由もなくなったので

続行することにしたわけですが。。

 

別にそうなったなら言うほどのことでもないんだが。

 

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約1ヶ月のお膳立てを作っておけば、

知ってる人だけに理由を伝えておけると思った。

 

そして消えていけばいいと思った。

 

だから日刊を書き始めたのだ。

 

だいたい言いたいだけどころか全力で言いたいだけのこの場所で

いまや、その書く理由はなくなりました。

 

日刊ファミリーには大変失礼なことをしたのかもしれない。

 

ただ、日刊むんくを書くことで色々な反応をもらったり

ブログよりも中の人に興味をもって接してくれる人が増えたのも事実だ。

何より自分自身がすっきりできた。

考えもまとまった。

休止を思いとどまったのはこの場所があったからだと思う。

 

ありがとう。

 

また迷いができたときは戻ってくるよ。

そしてまた自分を語ろう。

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賢明な読者なら、そういいながら名を変え形を変え同じ場所でまた始まるさと

思っているに違いない。

 

自分でもそう思う。

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日刊むんく【22】

22という数字は自分にとっては特別な意味をもつ。だからどうしたという話なんだが。

 

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すっかり日刊どころか週間すら怪しい状況になってきた。

端的に言うと、言いたいことはだいたい言い切った。

日々の思う事を書くというより、心底言いたいことに付き合ってくれた方々には感謝する。

ただ、これを続けることは、

格好良く言えば、自己ブランディングの暴走と言うか、

素を出し過ぎる懸念と言うか

あまり自分にとって利益にならんだろうと思った。

 

某サラリーマンは今月限りだと宣言しているが、

私は別に宣言などしない。

そのうちすーといなくなるからそれでいいだろう。

 

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毎回が最終回くらいの勢いでやればいいのかもしれない。

それくらいの背水の陣でブログも書ければさぞおもしろいんだろうと思う。

 

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ここ最近の私の周囲のブロガーから出てくる言葉は「ブクマ」だ。

ブクマ数でブロガーの価値が決まるんじゃないかと思うほど、この世のブロガーはブクマを気にする。

しかしブクマを気にすればするほど、そのブクマコメとか、反応を見て色々思うのも

有名ブロガーの悩みなんだろうと思う。

 

私はそんな悩みを今まで一度たりとも持ったことがない。

 

そんな華麗な世界とはかけ離れた安全地帯のようなところで自分はブログを書いているんだなと思う事がよくある。

 

さて、うちのブログはブクマは極端に少ない。

 

真面目に分析したことすらないが、勝手解釈で言えば、「読者層」なんだろうと思う。

 

幸か不幸かうちのブログはライトユーザーが多い。

自分の取り上げる内容が浅く広く系なので、ブクマする必要すらないからだろう。

明日消えてもいいような話題を取り上げている。

何の役にもたたないのかもしれない。

 

得てしてブクマのつく記事というものは

 

「役に立つ(かもしれない)」記事あるいは「話題になった(なりそうな)」記事くらいのものだ。

 

私のブログはそのどちらのネタも扱ってはいない。

 

うちのブログは料理屋ではなく、スーパーの生鮮食料品チラシのようなものだ。

しかも半分腐りかけのセール品ばかりを売るところだ。

たったひとつの取り柄は

腐りそうになったら絶えずどんどん出てくると言ったところだろうか。

 

そんなチラシにしおりをつけるやつはいねぇよ。

 

だけどね、ブクマはつかなくても毎日新聞折り込み見て、チラシから情報集めている人にとっては

私もちょっとは役に立つ存在なんかなと思ったりもする。

そんな人のためにもう少し誇りも持たず続けてみたいと思ったわけよ。

 

そんなチラシもこれからは工夫して生き方探しますよと。

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日刊むんく【21】

今日はこてつさんの日。

やっと会える。ようやく会える。

しっかり話してこようしっかり見てこようしっかり勉強しよう。

 

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なんでこんな毎日書けるの?への返答
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毎日好きなこと書いているから毎日書ける。

書くってことにエネルギーを使いたくなければ毎日好きなことを書けば良い。

それが普通になるから。

 

これが私が思い込んでるブログの続く秘訣です。

 

そうすることで目線が変わります。

日常の何気ないことまで興味が深まります。

 

全部iPhoneネタに変換してやるくらいの気持ちになれる。

ただゲームするだけなのに必ずスクショ撮るようになる。

風景みればInstagramに投稿したくなる

Twitterで名(迷)言見れば、ふぁぼりたくなる。

みんなの動向が気になる。

 

個人的な興味にブログネタ的な興味が掛け合わされると

毎日が楽しくなる。

 

大事なのはここからで

 

それを見て欲しいから書くんじゃなくて、

書いたからには見てもらいたいと思うだけの話です。

 

言いたいから言うんです。

 

好きなものを好きと言いたいんですよ。

 

好きじゃなければ何も始まらないし、何も生まない。

あのブログで何がしたいかって、iPhoneめっちゃいいよって言いたいだけ。

iPhoneラブとどっかの「k's」な偉い人が言ってたけど

私も負けてないと思ってる。

 

で、最後どうするかっていうと、

 

これ、自分にとってのRead it Latorなんです。

 

Evernoteをごりゅに教えてもらって以来、結構使ってるけど

私にとっての記憶を呼び覚ます一番のトリガーはこれまでいろいろやったブログ。

まるでアルバムを懐かしみながら見るのと同じように自分のブログを読むんです。

 

だからノイズはできるだけ消さずにまんま思ったことをブログ的に書く。

 

その練習が「覚醒しない日記」なのです。

 

だからどんなにくだらない内容でも毎日書くようにしてます。

自分で書きたいんだから言い訳できないわけですよ。

てか好きなものに言い訳など必要ないわけですよ。

 

だから続いてるんです。

くだらない話ですまそ。

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日刊むんく【20】

やりたいことはいっぱいあっても、やれない言い訳はしたくない。

と思ってたんだが。

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自分はすべての日刊シリーズを購読(RSS)という形をとっていない。

気が向いたときにだけ一気に読むようにしている。

 

だいたい言いたいことがそこにはあるので

自分も同じく、だいたい聞きたいときだけ日刊を見て回るのだ。

 

そこには本家本元のブログを持った人から

そうでない方まで

そうでない方っているのだろうか。

日刊軍団すべてのブログを私は知っているわけではないので

わからないのであるが。

 

そんな中で昨日日記を書いた。

そして今日ひろ日記【20】を読んだ。

 

驚きだったのである。なんだ、この感覚。自分のもつ人生の時間

またしてもシンクロしたように感じた。内容はちと違うかもしれないが。

 

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ネットとリアルの壁
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私は基本言いたいことしかここに書いてない。

 

でもそれが私のすべてというわけでもない。当たりマエダのクラッカー。

 

ネットという場所に長くいすぎたせいか私は

人間そのものをネットに出せなくなってしまった。

 

人間というものは必ず4つの感情「喜怒哀楽」を持ち合わせているものだ。

 

しかし、ネットという場所は「怒」と「哀」に対して非常に冷たい。

むしろリアルではそここそが一番人間の奥深いところでもあり、

触れたことでさらなる関係に深みを増すわけだが

ネットはそれが実は許されてはいない聖地なのだと思っている。

 

そもそも喜楽が「善」で怒哀が「悪」なのだろうか。

 

人間と人間が関係をもつということはすべてを認めない限りは

始まらないんだと考えていた。

 

ところで、ネットというものは

 

私が誰かの発信に対していいねと言ったり、喜んだような反応を

すればするほど、私に対しては良い評価として跳ね返ってくる。

逆に、私がダメだしをしたり、怒りをあらわにしたり、物事に嘆き続ければ

当然、ゆくゆくは悪い評価として跳ね返ってくるのだろう。

 

実はリアルもそういう場所でもあるのだが、わかりにくいだけなのかもしれない。

それがネットは恐ろしいほどデジタルな判断に委ねられる、そんな場所だと思う。

 

そういう場所だとわかった上でのコミュニケーションが確立しているということなんだろう。

 

そんな場所でどんぴはいいやつだとか、あの人間が凄いと

どれだけ言われたところであなた方が認めた私は

私という人間の半分も認めていないということに過ぎない。

私が怒ったとき、私が哀しんだとき。

あなたは私をどう見るだろう。

それを許せるだろうか?

 

リアルとネットの違いはそこにあるんだと思う。

認め合うだけの世界とそこに許し合うという概念が加わらない限り

リアルとネットは決してひとつにはならない。と思ってる。

そう考えることはやはり私も、

「喜楽」と「怒哀」を分けて考えていると言うことなのかもしれない。

 

 

そこに違和感を感じる人はネットに溺れないし、

ある程度の距離感をもってうまく利用しているんだと思う。

 

ネットを通してリアルまで突き抜けるためにはその2つの感情をお互いが越える必要がある。

 

そこまでしてリアルでも人間的な付き合いをし続けた方がいいのか

今まで通りの楽しく喜ばしいネットの人として付き合いを続けた方がいいのか

 

これは究極の選択なのだと思う。

 

だからこそ、オフ会のどんぴをみてもらいたいと思うわけですよ。

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