日刊むんく【20】
やりたいことはいっぱいあっても、やれない言い訳はしたくない。
と思ってたんだが。
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自分はすべての日刊シリーズを購読(RSS)という形をとっていない。
気が向いたときにだけ一気に読むようにしている。
だいたい言いたいことがそこにはあるので
自分も同じく、だいたい聞きたいときだけ日刊を見て回るのだ。
そこには本家本元のブログを持った人から
そうでない方まで
そうでない方っているのだろうか。
日刊軍団すべてのブログを私は知っているわけではないので
わからないのであるが。
そんな中で昨日日記を書いた。
そして今日ひろ日記【20】を読んだ。
驚きだったのである。なんだ、この感覚。自分のもつ人生の時間
またしてもシンクロしたように感じた。内容はちと違うかもしれないが。
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ネットとリアルの壁
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私は基本言いたいことしかここに書いてない。
でもそれが私のすべてというわけでもない。当たりマエダのクラッカー。
ネットという場所に長くいすぎたせいか私は
人間そのものをネットに出せなくなってしまった。
人間というものは必ず4つの感情「喜怒哀楽」を持ち合わせているものだ。
しかし、ネットという場所は「怒」と「哀」に対して非常に冷たい。
むしろリアルではそここそが一番人間の奥深いところでもあり、
触れたことでさらなる関係に深みを増すわけだが
ネットはそれが実は許されてはいない聖地なのだと思っている。
そもそも喜楽が「善」で怒哀が「悪」なのだろうか。
人間と人間が関係をもつということはすべてを認めない限りは
始まらないんだと考えていた。
ところで、ネットというものは
私が誰かの発信に対していいねと言ったり、喜んだような反応を
すればするほど、私に対しては良い評価として跳ね返ってくる。
逆に、私がダメだしをしたり、怒りをあらわにしたり、物事に嘆き続ければ
当然、ゆくゆくは悪い評価として跳ね返ってくるのだろう。
実はリアルもそういう場所でもあるのだが、わかりにくいだけなのかもしれない。
それがネットは恐ろしいほどデジタルな判断に委ねられる、そんな場所だと思う。
そういう場所だとわかった上でのコミュニケーションが確立しているということなんだろう。
そんな場所でどんぴはいいやつだとか、あの人間が凄いと
どれだけ言われたところであなた方が認めた私は
私という人間の半分も認めていないということに過ぎない。
私が怒ったとき、私が哀しんだとき。
あなたは私をどう見るだろう。
それを許せるだろうか?
リアルとネットの違いはそこにあるんだと思う。
認め合うだけの世界とそこに許し合うという概念が加わらない限り
リアルとネットは決してひとつにはならない。と思ってる。
そう考えることはやはり私も、
「喜楽」と「怒哀」を分けて考えていると言うことなのかもしれない。
そこに違和感を感じる人はネットに溺れないし、
ある程度の距離感をもってうまく利用しているんだと思う。
ネットを通してリアルまで突き抜けるためにはその2つの感情をお互いが越える必要がある。
そこまでしてリアルでも人間的な付き合いをし続けた方がいいのか
今まで通りの楽しく喜ばしいネットの人として付き合いを続けた方がいいのか
これは究極の選択なのだと思う。
だからこそ、オフ会のどんぴをみてもらいたいと思うわけですよ。
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